愉しみ

諏訪大社のトリビア

願いを届ける神秘の奇跡、
風と水を司る国内最古の神社
お諏訪様の秘密

1.お諏訪様はご夫婦

諏訪大社上社前宮

諏訪大社は、全国に1万以上ある諏訪神社の総本山で、大社と呼ばれるものは諏訪大社だけです。
諏訪湖を挟み南と北に上社と下社に分かれていて、それぞれが二社から成り立っているという、日本でも珍しい四社体制(上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮)です。

本宮の祭神はタケミナカタの神様(建御名方神)。タケミナカタの神は諏訪大明神、お諏訪様として親しまれてきました。風や水に直接関係のある農業の守護神としても有名で、水の信仰が海の守護神となり、古い港には、お諏訪様が祀られています。
前宮の祭神は妻であるヤサカトメの神様(八坂刀売神)。御夫婦で「家庭円満の神さま」とも呼ばれています。

4社に鎮座する「お諏訪さま」とは

名前 祭られている神 どんな神様
上社本宮 タケミナカタの神(健御名方神)
上社前宮 ヤサカトメの神(八坂刀売神) タケミナカタの妻神
下社春宮 タケミナカタの神とヤサカトメの神
下社秋宮 タケミナカタの神とヤサカトメの神、ヤエコトシロヌシの神(八重事代主神) タケミナカタの兄神

2.山と木々に見守られる自然の聖域

上下社ともに神殿はありません。
上社は御山を御神山とし、秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木としています。
御山は守屋山。
上社本宮の境内すぐそばに迫っており、神聖な地として神職以外の立ち入りを一切禁止しています。
そこには『硯岩』という大きな磐座(いわくら)がひとつあるそう。磐座とは神様の御霊の宿るもの、降臨されるものとされる巨石のことで、日本人が古くから伝わる自然信仰です。

諏訪には数多くの石にまつわる伝説が残されています。
鎌倉時代末期の書物『諏訪上社物忌令(ぶつきれい)』によれば、神様(ミシャグジ神—蛇)を降ろす神事が行われていたそうです。

諏訪七石とは

名前 所在地・伝説
1. 硯石(すずりいし) 上社本宮の拝殿の山側
2. 御沓石(おくついし) 上社本宮の『一之御柱』の裏
3. 小袋石(おふくろいし) 上社前宮の山手標高880m近く磯並社の上方
4. 児玉石(こだまいし) 児玉石神社境内
5. 御座石(ございし) 上社本宮境内
6. 亀石(かめいし) 高島城
7. 蛙石(かえるいし) 上社本宮拝殿『神居』にある大石、もしくは宮境内の『蓮池』の中との説あり

3.神は船で移動する?

下社はタケミナカタの神とヤサカトメの神、両神を祀っていますが、ヤサカトメの神様は春宮に2月~7月、秋宮に8月~1月の間鎮座します。
8月1日には『お船祭り』が行われ、ご神体の御霊代(みたましろ)を、舟に乗せて春宮から秋宮に運びます。

雑木である青柴できた舟は柴舟(しばふね)と呼ばれ、重量5トン、長さ8.1メートル、幅4.3メートル、高さ3.2メートル。
前後に伸びた胴棒を含めると12メートルにもなる巨大なもの。
数百人の氏子に続いて、『絹姫』『万寿姫』などあでやかな姫様、武士たちを中心とした時代行列や騎馬行列が2kmの道程を3時間ほどかけて練り歩きます。

『お舟祭り』は『御柱祭り』をのぞけば下社最大のお祭りです。
7月31日にはお船祭り宵祭りも行われます。2月1日は御霊代を秋宮から春宮へ運ぶ、『遷座祭(せんざさい)』は、神主の行列だけが粛々と進み厳かに行われますので、「こっそり祭り」と呼ぶ人もいるそうです。

お船祭りと遷座祭の経路

名前 日程 場所 経路
遷座祭 2月1日 秋宮 大社通り→友の町→魁町→大門通り→春宮
お船祭り 8月1日 春宮 下馬橋→春宮大門→大社通り→八幡坂→太鼓橋→秋宮

4.古事記に記された国譲りの話

タケミナカタの神(健御名方神)は、地上を支配するオオクニヌシの命(大国主命)の息子です。
『古事記』によれば、タケミカヅチの神(建御雷神)がオオクニヌシの命に「国を譲れ」と話したところ、息子に交渉させることにします。

しかし息子のタケミナカタの神(健御名方神)は戦いで敗れ、諏訪の海まで逃げていきます。
そしてタケミカヅチの神(建御雷神)に命乞いをして「日本国土は高天原の神々に譲ります」とこの地から出ないと約束して、諏訪の神になったといわれています。

諏訪大社の不思議な恵みとは?

御利益 所在地・伝説
所願成就・勝利祈願 タケミナカタの神の力を得て、勇気を与えられ困難な状況を乗り越える。願い事を叶えることができる。
開運招福・商売繁盛 水や風を守るため、恵みの力で豊かになれる。狩猟、農業、産業にも御利益あり商売繁盛にも繋がる。
夫婦円満・恋愛成就 ヤサカトメの神は十三柱もの御子神を生んでいることから、夫婦が円満で子孫繁栄を約束する。恋愛成就や縁結びにも御利益がある。

ほかにもある諏訪大社の御利益

災難除け、厄よけ、長寿、事業成就、芸能、職業、技術、交通安全

5.上社と下社が分かれているのは?

タケミナカタの神とヤサカトメの神はケンカをしてしまい、怒ったヤサカトメの神は下社に行ってしまいました。つまり別居したということ。けれど夜、湖を渡ってこっそり、タケミナカタの神は妻神に会いに行くようになったそうです。

諏訪湖が凍結して湖に亀裂が走り、氷がせり上がる『御神渡り』という現象は、タケミナカタの神がヤサカトメの神に会いに行った証であるという伝説が残されています。

諏訪大社の神秘を感じる基礎ワード

青銅の鳥居(秋宮) 神楽殿の前にある青銅の狛犬は体長1.7メートル。日本一の大きさです。
縁結びの杉(春宮) 先が二股になっていて根本でひとつになった杉は、縁結びの杉と呼ばれ、夫婦で訪れると絆が深まります。
さざれ石(秋宮) 参集殿の入口に『君が代』の歌詞に出てくるさざれ石があります。
小石が何万年もの歳月で成長して岩になったもの。努力や成長を助けてくれそうです。
根入り杉(秋宮) 樹齢700年、丑三つ時にはいびきをかいて眠るといわれる杉。煎じて飲むと安眠できるという伝説もあります。
御神湯の御手水舎(秋宮) 手水舎の湯口は竜神伝説にちなみ竜の口。流れているのは温泉水で、心も温まり浄化をしてくれます。
大しめ縄(秋宮) 聖域を表す、邪気を祓い、神を招来するといわれる注連縄は出雲大社とほぼ同じ大きさで日本一を誇っています。諏訪大社は右から巻き始めており、不浄の侵入を防ぐそうです。ちなみに出雲大社は左からで不浄のものが出てこないようにしているとか。

水中墓伝説

いまも謎が残る…
武田信玄 水中墓伝説

武田信玄の亡骸が沈んでいると言われている現在の諏訪湖

武田信玄が「自分が死んでも3年間は秘密にせよ。
亡骸は甲冑を着せて諏訪湖に沈めよ」と遺言を残したという伝説があります。この話は武田信玄の歴史をつづった資料である『甲陽軍鑑』にも掲載されています。
金脈を掘り当てた信玄は埋蔵金を隠したといわれ、亡骸はとともに沈めたとの説もあるそうで埋蔵金伝説につながっています。
1986年には国土地理院の調査で、湖の底に一辺が25メートルの、自然にできたと思えない菱形の物体が発見されて水中墓ではないかと話題になりました。けれど、底は泥が多く、調査は打ち切られ、謎のままです。

諏訪大社 年間行事

1月1日 歳旦祭(さいたんさい)

下社秋宮 午前4時 / 上社本宮 午前8時

年の初め、月の初め、日の初めである元旦の早朝に行われる祭儀。皇室の弥栄(いやさか)と国家の隆昌、世界の平和を祈り、今年の誓いを新たに致します。

1月1日 綿之湯神事(わたのゆしんじ)

下社秋宮 午前8時30分

御祭神の妃神が、上社から下社へとお渡りになる折り、湧き出る湯を綿に含ませた湯玉をお持ちになって社前に供えると、そこから湯が涌きだしたといわれます。その湯は、綿の湯玉にちなんで「綿の湯」と呼ばれて下諏訪宿の霊泉のはじまりと伝え、その霊泉をたたえる神事です。

1月14日~15日 筒粥神事(つつがゆしんじ)

下社春宮 14日夕刻から

小正月の年占の行事で1月14日の夕刻から15日の早朝にかけて行われます。古式の火鑚(ひきり)によって浄火をおこし、大釜に白米、小豆と葦の筒を入れて筒粥に炊き上げます。翌15日の早旦にはこれを神前に捧げて祝詞奏上の後、葦の筒を割り農作物43種の成否と世の中の吉凶を占う神事です。

1月15日 祈請祭 蟇目の神事(ひきめのしんじ)鳴弦祭

神官により根入りの杉方向に放たれた 鏑矢を拾うと1年の幸せが得られる。

2月1日 遷座祭(せんざさい)

下社秋宮~春宮 午後1時

諏訪大社では御祭神の御神座が半年毎に移動するという他の神社に見られない古来の祭祀(さいし)が伝わっています。諏訪大社独自の風習として春一番に芽吹くといわれる楊柳(ようりゅう)=川柳の玉串の幣が献じられます。2月1日神霊渡御の行列が秋宮から春宮にさし立てられた半年後、8月1日には再び秋宮へ遷座の儀が行われます。

2月3日 節分祭(せつぶんさい)

下社春宮・秋宮 午後1時30分

節分は追儺式(ついなしき)と言い、豆をまいて鬼や災いを祓う行事です。先に春宮で豆まきと宝投げを行い、引き続いて秋宮でも行います。

2月11日 紀元祭(きげんさい)

下社春宮 午後2時 / 上社本宮 午前10時

神武天皇建国の聖業を偲び、祖国日本の永遠の繁栄と世界の恒久平和を祈る祭典です。

3月18日 祈念祭(きねんさい)

下社春宮 午前10時 / 上社本宮 3月17日午前10時

「年」(とし)は穀物、特に稲みのりのこと。春のはじめにその年の五穀の豊作を神々に祈ると共に、皇室の隆昌と国民の安泰を祈る大祭です。諏訪大社では1ヶ月送れのこの時期に執行されます。

6月下旬 菖蒲奉献祭(あやめほうけんさい)

春宮の境内

春宮の境内に50鉢以上の菖蒲が展示されます。

6月30日 御作田社祭(みさくだしゃさい)

午後4時頃

下社の御田植祭は御作田祭とも言われ、御作田社の例祭に合わせその境内の斎田で行われます。神職が田作りの所作をなす田遊神事・巫女が田舞を舞った後、白丁姿の氏子の代表が田植えをします。この日植えられた稲は1ヶ月後の8月1日には諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられ御作田の早稲(わせ)と言われています。

6月30日 大祓式(おおはらへしき)

午後4時頃

春宮の清流砥川(とがわ)に祓戸大神(はらへどのおおかみ)を祀る浮島社(うきしましゃ)があります。社前には茅(かや)で作られた茅輪(ちのわ)が設けられ、茅輪をくぐり、罪穢れを託した人形(ひとがた)を川や海に流すことで半年間の罪穢れをとりはらう神事です。浮島社祭に引き続いて行われます。誰でも茅輪をくぐることができます。

7月31日 柴舟造り 夕祭

下社秋宮・春宮 午後1時

2月1日に春宮にお遷(うつ)しした御霊代(みたましろ)は、渡御行列をしたて再び秋宮へ御遷座されます。遷座祭に続いて下社例大祭が秋宮で行われます。この遷座の行列に続いて青柴で作った大きな舟に翁(おきな)媼嫗(おうな)の人形を乗せた柴舟が当番地区(御頭郷=おんとうごう)の氏子数百人によって春宮から秋宮へ曳行(えいこう)されます。秋宮に曳き付けて神楽殿を3周し、神事相撲三番が行われて祭事が終わり、翁媼人形は焼却されます。
この遷座の大祭を俗に「御舟祭」と言い、明治の中期までは柴舟を裸姿の若者たちが担いだので、「諏訪の裸祭」とも言われておりました。この祭はその昔御祭神二神が諏訪湖上を周遊せられたという故事に依るとも伝えられています。

8月26日・27日・28日 御射山社祭(みさやましゃさい)

下社・上社

上下両社にそれぞれ御射山社があります。上社は八ヶ岳麓の富士見高原に、下社は江戸時代初期以降、霧ヶ峰高原から移り現在の下諏訪町武居の山中に鎮座しております。古くは御射山御狩の神事といい、神官社人が揃って3日間現地に青茅(あおかや)の仮屋(穂屋)に籠もって祭に奉仕し、また鎌倉幕府は全国の武将をここに集め、この祭に参加させて武芸を競わせ神徳を仰ぎました。この祭は「穂屋祭」とも呼ばれ全国各地の御分社でもこの日を諏訪祭として例祭日に当てている社が多く、近来では農作物の豊穣と当年2歳の子供の健康、厄除け祈願の祭としてススキの穂守りを戴き、原山様の祭として広く一般に親しまれています。川に昔はウナギ、今はドジョウを放す。あべ川餅を食べる風習がある。

10月17日 神嘗祭当日祭(かんなめさいとうじつさい)

下社秋宮 午後2時 / 上社本宮 午前10時

神嘗祭は毎年10月17日に伊勢神宮において行われる収穫祭です。今上陛下自らが皇居内の水田で育てた稲の初穂や、全国の農家から奉納された新穀を天照大御神に供える皇祖奉斎(ほうさい)の祭でもあります。この日にあわせて諏訪大社でも祭事を行います。

10月下旬 ~11月中旬 奉献菊花大会

秋宮境内

境内には丹精込めた菊が奉納され菊の香りと見事な花が楽しめます。

11月3日 明治祭(めいじさい)

下社秋宮 午後2時 / 上社本宮 午前10時

ご治世46年の間を通して、常に国家・国民の上を思し召され、世界平和実現のために尽力あらせられた、類(たぐい)ないご洪恩を仰ぎ奉る祭典です。

11月15日 七五三祈祷祭

女児7才・男児5才・男女3才(地域により違い有り)の子供達が氏神様に詣でる人生儀礼の一つ。その起源は、成人式の一段階としての氏子入りの習慣と関係があると考えられています。氏神様に参拝して守護を祈るとともに、地域社会からも社会的人格を承認される儀礼です。

11月24日 新嘗祭(にいなめさい)

下社秋宮 午前10時 / 上社本宮 11月23日午前10時

春の祈年祭と共に宮中はじめ全国の神社で行われており、新穀を神前にお供えして豊作を感謝する大祭です。

12月23日 天長祭(てんちょうさい)

今上陛下のお誕生日。聖寿の萬歳と皇室の隆盛、世界平和を祈る祭典です。

12月31日 大祓式(おおはらへしき)

下社秋宮 午後4時 / 上社本宮 午後2時

6月30日と12月31日の2回行われます。知らず知らずのうちに冒(おか)した罪穢れを祓い除き、清々しい心身で生活につとめるための神事です。

除夜祭(じょやさい)

大祓式に続き神執行

31日の夕刻に執行され、本年の諸祭典諸行事の滞りなく終了したことを神前に感謝する1年間の最終の祭典です。

式年造営御柱祭(しきねんぞうえいおんばしらさい)

通称「御柱祭」(おんばしらさい)」

諏訪大社の諸祭儀の中で寅年と申年の4・5月に行われる特筆すべき大祭です。
社殿の建て替えとその四隅に「おんばしら」と呼ぶ大木を曳建(ひきた)てることに大別されます。起源は古く、平安時代初期桓武天皇の御代からは信濃國の総力をあげて奉仕され、費用の調達のために元服の式や婚礼・家屋の新築や増改築が禁じられた時代もあります。現在も御宝殿(ごほうでん)造営は続いており、諏訪地方一円20万の氏子が老若男女を問わず奉仕します。「おんばしら」の用材は樅(もみ)の木が使われ、3年前から木の選定等準備が始まり、上社関係は約25キロ隔てた八ヶ岳の中腹から、下社関係は八島高原の近くから約10キロの里程を曳き出します。大きな「おんばしら」は周囲3メートル、長さ16メートル余、重さ12、3トンにもおよび、独特の木遣り歌と共に2~3千人の力によって曳行されます。車もコロも使わずに人の力だけで曳(ひ)きずる原始的なお祭りです。急坂を曳き落とす木落とし、川を引き渡す川越し等、怪我人が出ない方が不思議と言われるほど荒く勇壮な祭りとして知られています。御柱祭は本祭りの前の年に行われる御用材の本見立てから伐採、祭りが近づくと縄打ち(引き綱を造る)御柱休め(古い柱を倒す)などが行われる。下社では「山出し」が4月の上旬3日間、「里曳き」が5月上旬3日間行われる。
秋には、各区にある神社(小宮)でも行われ、祭りで盛り上がる。